耳にするだけでまるで南国へトリップしたような気持ちにさせてくれるスティールパン。このスティールパンの発祥の地がトリニダード・トバゴです。
ドラム缶を凹ませて音階をつけた打楽器で、20世紀最後のアコースティック楽器の発明ともいわれています。国が誇る楽 器(ナショナル・インストロメント)に指定され、現地では“パン“という名で愛されています。パンの種類は、メロディを奏でるテナーパンや ダブルテナー、ハーモニーを生みだすギターパンにチェロパン、低音でリズムを生みだすテナーベースや6ベースなどがあり、それぞれ音階は異なります。ま た、スティールバンド(パンで編成されたバンド)によっても使用するパンの種類が違い、6ベースを使わず7つのパンで作られた7ベースを使っていたりと多 様化しています。
スティールパンの誕生は、1930年代にさかのぼります。
1800年代後半、かつてのカーニバルで、元奴隷のアフリカ系の人たちが好んで使っていたアフリカン・ドラムなどが野蛮だという理由で、法律の条令としてすべてのパーカッション、弦楽器、木管楽器を無免許で演奏することが禁止となりました。
そ こで、彼らはいろんな長さに切り取られた竹を地面の上に打ち付けて音を出す、Tamboo-Bambooという楽器を生みだします。1884年~1930 年代後半にかける50年間のカーニバルでは、このTamboo-Bambooがリズム楽器として発展しました。しかし、竹は性質上すぐに割れてしまうから と、他の金属容器で音を出す実験をし、その結果、他の材料よりも耐久性があって大きな音が出るということから、当時石油を保存するのに用いられていた55 ガロンのドラム缶を、横断面で切りとって使うことになりました。
さ らに実験を重ね、表面に凹凸をつけることによっていろんな音が出せることを発見。リズムの代用品だった単なるドラム缶は、1939年に音階を奏でることの できる打楽器・スティールパンとなったのです。後に音質や形状が改良されてパンの種類が増え、ベースパンのような大型のパンも生まれ、アンサンブルが構成 できるようになりました。1940年、スティールパンのカーニバルでデビュー時は、パレードするためにPan Round The Neck(パン・ラウンザネック)と呼ばれる、首から下げるスタイルで演奏されていましたが、楽器の種類が増えると、今のボートと呼ばれる可動式カートに パンをひっかけて演奏するスチール・オーケストラへとスタイルが変わりました。
かつて元アフリカ人奴隷たちは、山の上に隔離されるように暮らしており、そのひとつのコミュニティである、現在国一番のゲットーと呼ばれるラバンティルで、 スティールパンは誕生しました。まさしくラバンティルはスティールパンの聖地です。他の歴史の古いスティールバンドのパンヤード(バンドの拠点、練習場) が比較的貧しいエリアに集まっているのも、そういった理由、背景があることを忘れてはいけません。しかし、今やスティールパンは国民的音楽であり国民的娯 楽になりました。現在では、トリニダード島・トバゴ島をあわせて200バンド以上が存在し、どの街にもパンヤードはあります。そして、今でも昔と変わら ず、近所のひとたちの集会場として、バンドの練習を聞きながらお酒を飲んで楽しい時間を過ごす場所として親しまれています。
パ ンがワールドワイドに知られるきっかけとなる、世界最大のコンテスト「パノラマ」は1963年にスタートしました。約160バンドが参加し7000人のプ レイヤーが頂上を目指しています。スモールバンド、ミディアムバンド、ラージバンド部門に分かれて競われており、ラージバンド部門にいたっては、 100~120人編成という巨大オーケストラ。このような大規模のバンドが見れるのは世界でもトリニダード・トバゴの、しかもカーニバル時期に開催される パノラマだけです。一目迫力ある音と熱気を感じようと、各国からファンが訪れるカーニバルの一大イベントとなっています。
スティールパンは、このようにトリニダード・トバゴで抑圧の歴史の中から誕生し、世界中で愛されるまでに発展を遂げました。一度本場トリニダード・トバゴの迫力あるスティールパンを味わってみてください。